徐福は冬虫夏草を見つけたのか
史記による真実
史記によって明かされた冬虫夏草の歴史
冬虫夏草の歴史を探ってみると、まずは前漢時代(紀元前206~8年)に編纂された「史記」を参考にしてみましょう。史記は司馬遷によってまとめられた中国最古の歴史書として有名で、その中でも有名なのが秦の始皇帝の記述です。
司馬遷がまとめた「史記118巻・淮南衝山列伝」には、始皇帝について次のようなことが記録されていました。
始皇帝が国家統一を成し遂げて最初に取り組んだのが冬虫夏草の捜索だった。名だたる仙人や道士を集め「仙草を栽培して、どんどん持ってこい」と命じたのである。
仙草といえば前人未踏の霊峰にしか見られない希少なものですから皆んなが尻込みをする中でただ一人、斉国(山東省)の方士・徐福(中国名は徐市)だけが「東方海に三神山あり、ここ蓬莱の地の仙人が不老不死の薬を練っていると聞きました」と奏上。始皇帝は徐福が望むとおり金銀100貫と3000人の若い男女、採取施設を建設するための石工や大工などを用意して浙江省の寧波港より蓬莱を目指して旅立たせた。しかしその後、徐福を含め誰一人として秦には帰ってきませんでした。
唐王朝を衰退に追い込んだ楊貴妃
始皇帝が作りあげた強大な秦帝国から900年ほど経過した唐王朝に記された「旧唐書」には、世界の三大美女と称される楊貴妃の詳しい記述があり、冬虫夏草が歴史にクローズアップされました。
楊貴妃の実名は楊玉環、西征する唐王朝の皇太子・寿王に見初められて皇太子妃となったのだが、その美しき皇太子妃に目をつけたのが寿王の父親である第6代皇帝の玄宗である。彼女を道教寺院に入れることから始まり、自らは宮廷に修道院を作って天台山(浙江省の霊山)から高名な司馬承禎という仙人を招き入れ、道士になるための修練を重ねたとある。このことは「御極多年にして長生軽挙の術を尚とぶ」と旧唐書にも記されるように、永遠の生を受けること、そして自らが仙人の列に加わりたいという道教思想に入れあげた証左なのである。
永遠の生を受けたい玄宗も永遠の美に授かりたい楊貴妃も、冬虫夏草を重用したであろうことは簡単に想像できます。これが後世に、楊貴妃は冬虫夏草を愛したと語られるようになった所以ですが、実際には、玄宗を道教の世界に引きずり込んで夢中にさせたのも楊貴妃かもしれません。
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